【感情論】いじられキャラに学ぶ人格形成について

Zidori

いじられキャラの経験則だけで学ぶ「人格の形成」について

僕が中学生時代、高校時代にはスクールカーストとか

陰キャ陽キャとかの言葉は存在しなかった。

だけど

「お前は目立っちゃいけない存在だ」とか「お前はこういう人物だ」みたいな

暗黙の了解みたいな、異様な雰囲気は確かにあった。

Characterっていう言葉を辞書で引いてみるとこう出てくる。

性格、個性、気質、特色など想像通りの単語が続々と出てくる。

これらは自分が育つ環境とか置かれた境遇とか

相手が発した何気ない言葉を受け止めたりスルーしたりすることで

初めて自分のキャラクターというのが成立するわけだ。

「没個性ならば、それが個性!」というよく分からない式が成り立つくらい

それくらい自分のキャラクターは外部からの圧力が凄いと感じる。

それでも自分の中では「これ!」という一つ「核」のようなものがあれば

外部から何を言われようとも、芯がブレることなく生きていくことができる。

もっと言えば多少ブレても「自分」というものを見失うことはない。

中学から高校生という多感な時期にいじられる。いじめられる。

自分がまだ何者なのか?

そしてどうやって生きていくのか理解できない時期に

他人からいじられる、またはいじめられると

その後の人生まで壊されてしまう。(可能性が高い気がする)

例えばいじられキャラになってしまうと・・・。

「自分は相手のストレス解消マシーンなんだ」

「自分は大きなリアクションを取らなきゃダメなんだ」

「自分は決して相手に怒っちゃいけないんだ」

みたいな「ダメなんだ」という変な縛りを自分に課してしまう。

「いじられキャラとして生きるんだ!」みたいな人はただの一人もいないと思う。

よく分からない勢力が勝手に決めるのだ。(今で言う一軍の連中?)

ちょっと感情的になってしまうが、彼ら彼女らは話ができない。

僕らのほうがコミュニケーション能力が低いと勝手に判断して

何も話を聞いてくれない。

少し反撃すると束になって一人のことを徹底的に潰しにくる。恐怖だ。

僕は中学時代に沈んでしまった。そこから今までの毎日は全て惰性な気がする。

今でも思いっきり感情を吐露することはできない。怒りも制御ができない。

「泣いている自分」や「怒っている自分」が正常な気がする。何も悪いことではない。

ありのまま生きている人など少ないとは思うけれど

少しは開放的になって生きてもいいのかもしれない。ほんの少しだけ。

逃げ癖、サボり癖のサラリーマンです。怠惰な毎日を記事にしています。

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